1999.07.01 (木) | 「押しつけ」は嫌いです。 |
1999.07.08 (木) | 東京へ行って来ました。§^。^§ |
1999.07.26 (月) | レッスン再開!!!!§^。^§ |
1999.08.15 (月) | 私にできること |
1999.10.26 (火) | 簡単な曲ほど難しい。 |
2000.01.16 (日) | ピアノのことを本当に好きでいてほしいから。 |
2000.03.30 (木) | うれしかったです。(;_;)うるうる〜〜〜〜 |
2000.04.01 (土) | 音と音楽 |
2000.04.24 (月) | 無題 |
2000.04.08 (金) | うれしかったこと |
1999.07.01 (木) 「押しつけ」は嫌いです。 |
今日、Kくんのレッスンがあった。はじめからわかっていたことだけど、Kくんは、お母さんに言われて、しかたなくピアノをやってるってこと。(それは、5月7日の日記に書きました) 今日のレッスンで、、、、。 Kくん「あ〜〜〜〜、ピアノってきらいなのに、なんでやらなきゃいけないのかなあ、、、、。」 よく話を聞くと、kくんは、幼稚園のころに、 おかあさんに「なにか楽器もできた方がいいと思うけど、ピアノやってみない????」 と言われて、 「ともだちもやってるからじゃあ、ちょっとピアノ、やってみようかな、、、、」 と言って始めたら、知らない間に、ピアノまで買ってくれちゃって、今では、 「せっかくピアノ買ったのに、無駄になるから」とか、 「今ピアノをやめたら、いままでピアノ習ってきたことが全部無駄になるから」 と言って、やめさせてくれないんだ、、、。とのこと。 私は、無性に腹がたってきたので、 「はっきり言って、今まで習ってきたことは、無駄だと思うよ。だって、やる気もなくてやってきたことなんだから、、、、」 と言った。そして、 「あのね、普通のピアノの先生の子どもってさあ、みんなピアノ上手だよね。でもね、うちの子たち、ピアノ、まともに弾けないよ。なんでかっていうとね、『やりたい』って言わないから、全然教えてないもん。私はね、自分の子どもでも、人の子どもでも、『人になにかを押しつけること』は、嫌いなの。だから、Kくんのお母さんの気持ちがわからないし、kくんは、かわいそうだと思う。だから、kくんのお母さんに、『押しつけはやめて!!!!』って言いたいけどね。でも、私が言うんじゃなくて、本当は、Kくんが自分でちゃんとお母さんに、『ぼくはピアノはやりたくないから、やめたい、学校の勉強とかの、絶対にいやでもやらなきゃいけないことはちゃんとやるから、ピアノはやめさせてほしい』って、言ったほうがいいよ。」 そうしたらkくんは、涙ぐんで、 「もう一度、お母さんに話してみる」と言って、 「さあ、やろっ!!!!」といって、ピアノを弾き始めた。 すると、すごく上手にひくではないか、、、、(^_^;) 私は、思わず、 「これ、家で練習したの????」 と聞くと、 「ううん、全然!」と言う。 私は、 「すごいねえ、じゃあ、1週間前に私が言ったこと、ちゃんと覚えていて、ちゃんと弾けるんだねえ、、、、すごいよ、 kくんは、ピアノ、音楽の才能、あるよ!!!!§^。^§」 と、本当に思ったから、そう言った。 そうこうして、30分のレッスン時間が過ぎて、帰るときにkくんは、ぼそっとこう言った。 「ピアノも、なかなかいいもんだねえ、、、、。」 私は、なんだかすごくうれしかった。 私は、ふと、思い出した。高校生の頃読んだ、寺山修司の「家出のすすめ」の中の一節を。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 若い詩人の石川逸子さんは「彼ら笑う」という詩で、 「この子の手足が長すぎる」 子を食う母 朝に晩にばりばりと子の手足を食う母 血みどろの口と 慈愛の瞳 「わたしはお前のためを思っている」 いつもお前のためを思っている母から子は逃げる 短くなった手と足で子は逃げる 母の沼 どぶどろの臭い放つ 沼から逃れようと もがく と一般的な母の夢の怖ろしさについて書いています。おそらく平凡な家庭の母子間系、それも一人息子と母親の関係については、まったく母は子を食べようとするでしょう。 (角川文庫 「家出のすすめ 寺山修司 著」より) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここまでくると、ピアノとは関係なく、私個人の子育てに対する考え方になってしまうので、ここのHPに書くのはどうかとは思いますが、私は、「親の義務は、子どもに『レールをしいてやること』ではなく、『レールのしきかたを教えてやること』だと思います、 なので、ピアノ教師は、生徒に、『教え込む、あるいは、先生自身の弾き方をコピーさせること』ではなく、『ピアノや音楽の楽しさをわからせてあげたり、音で(ピアノで)人に自己表現を伝える方法を教えてあげる』ことだと思います。(う〜〜〜〜ん、、、、なかなか、うまく私の考えを文章で表現できないなぁ、、、、(^_^;) |
1999.07.08 (木) 東京へ行ってきました。§^。^§ | ||||||||||||||||||||||
1999年7月5日(月)、6日(火)、(財)ローランド芸術文化振興財団・日本経済新聞社主催の、【第6回 新しい音楽教育を考えるシンポジウム 〜大人のためのピアノ・レッスン〜】が、東京国際フォーラムにて行われ、私も行って参りました。 「大人のための・・・・」だけでなく、どんな年齢の方に教える場合にも役立つ知識を得ることができ、はるばる(?)東京まで行った価値は、十分にありました。これからのレッスンに大いに役立てようと、ますますはりきっています。§^。^§V 内容を少し紹介しておきます。
過去のシンポジウムに関するRolandのHP http://www.roland.co.jp/found/kouenkai/index.html#6th 私が特にこころに残ったお話、得たことは、 ★「発見することは、人から教えてもらって知った知識よりも記憶に残る=創造性を育てることの大切さ」 ★大人でも子どもでも、「感動する心」を持てるように、本当の音楽教育をすべきである ★演奏のテクニックも大切だが、それ以上に大切なのは、家庭や社会の中で音楽に親しみ、みんなで楽しむことをもっと普及させること。 大変有意義な2日間でした。§^。^§ |
1999.07.26 (月) レッスン再開!!!!§^。^§ |
中3になって、受験勉強のためピアノをやめていったKちゃんが、今日からまた、レッスン再開してくれた、Kちゃんは、由佳ちゃんと同級生で、一緒によく連弾やアンサンブルをしていたし、クリスマスコンサートや発表会でも、由佳ちゃんと演奏したり、いろいろスタッフとしてお手伝いもしてくれてた。 だから、4月に由佳ちゃんが遊びに来てくれたことや、2年後の発表会に由佳ちゃんも参加するんだよって話をしたら、たのしそうでいいねぇ。と言ってくれた。あ〜〜〜〜、うれしい。ピアノ(音楽)はやっぱり、いいなあ。§^。^§ |
1999.08.15 (日) 私にできること。 |
今日、午後3時半ごろ、電話がかかってきた。思いがけない訃報だった。私の自己紹介のページに、以下の文章がありますが、 「高2の4月、進路決定の際に、突如として音大を目指すことを決意。周りの人は驚いたが、 本人は、ずっとピアノを習っていたのだから、、、、と、なんのためらいもなかった。 しかし、その手の先生にかわり、すごいカルチャーショックを受ける。(「基礎」が全然できていなかった、、、、(〜_〜;) ・その後、必死にピアノを練習し、名古屋自由学院短期大学音楽科 音楽教育学部卒業。 ※自分が受けたあのつらいカルチャーショックを絶対に自分の生徒たちには味合わせたくないので、楽しく教えながらも、基礎はとても大切に教えています。」 その「その手の先生」=植田先生が亡くなったという知らせでした。 私にとって、植田先生は、両親と同じくらいの大きな存在でした。 最後に先生にお会いしたのは、1999.5.31(月)のPTNAピアノコンペティション 課題曲公開レッスンの時です。 毎年、私の生徒で、コンペティションに参加する生徒を、特別に1回、レッスンをお願いしていたので、 今年もお願いしようとしましたが、以前から先生は、人工透析を週に3回、一日おきにやっておられ、 最近は身体の具合がよくないので、今回は「自分でがんばって教えなさい」と言われました。 私も、いつまでも先生に頼っていてはいけない、自分の生徒は自分でちゃんと教えなければ・・・・」と思いましたので、 「はい、わかりました、自分でがんばってみます。」と言いました。 そして、7月11日、豊田地区予選では、私は舞台係りをしていたので、先生にはお会いすることはできなかったのですが、 私の生徒、Rちゃんとそのお母さんは、植田先生にご挨拶したとのこと。 そして、Rちゃんは念願の予選合格を、3年目にしてやっと果たすことができました。 思えば、私は、初めて先生の手から離れ、自分の力で生徒に指導し、初めてその成果を先生に見てもらうことができたのです。 私は、音大在学中から、ピアノ教師の仕事をし始めましたが、最初に、ピアノを教えることになったことを、 先生に報告したとき、先生は私にたったひとこと、こう、おっしゃいました。 「自分の生徒が、突然、専門の道へ進みたいと言ったときに、困らないような教え方をしなさい。」 私は、この言葉は、すごく身にしみました。なぜなら、自分が通ってきた道だからです。 私のような生徒を絶対に作ってはいけない。私のような辛い思いは絶対にさせない。 あの先生の言葉は、絶対に忘れないし、それを最後に、先生に、「Rちゃんの予選合格」という形で, また、Mちゃんもステージで落ち着いて普段通りに演奏できた姿を見てもらうことができて、私はほんとうによかったなあと思います。 先生の訃報を聞いたときは、すごく悲しくて、声をたてて、泣きました。 優実(私の小5の娘)が、 「おかあさん、どうしたの?」と聞いたので、 「先生が死んじゃったんだよ、、、」と言いました。 娘は神妙な顔をして、私を抱きしめてくれました。 少しおちついて、私は思いました。先生が私に教えてくれた、 『本当に心を込めてピアノを弾くために、必要な、『テクニック』、『知識』『練習方法』など』、 私は自分の生徒にできるかぎり、きちんと教えていくことが、 先生が私に教えてくれたことに対する恩返しになるし、 先生への一番の供養にもなるし、先生の身体はなくなってしまっても、 先生の「心」と、「教え」は、私から私の生徒へ、弟子からその弟子へと、 永遠に生き続けていくんだと、思います。 なんだか、まとまりのない文章になってしまいましたが、 最後まで読んでいただいた「あなた」に感謝しますm(__)m |
1999.10.26 (火) 簡単な曲ほど難しい。 |
「簡単な曲ほど難しい」これは、大人の生徒のMさんが言った言葉です。 Mさんはある日のレッスンで、両手ユニゾン(同音)の連弾曲「きらきら星」を弾いたときに、伴奏と併せて表情をつけて弾いたときに、しみじみと、「この曲って、いい曲ですねぇ・・・・。」と言いました。 楽譜をぱっと見て、「音符が少ない=簡単」とか、「高度なテクニックを必要とする曲=難しい」とか、思われがちですが、私は決してそうではないと思います。簡単な、曲ほど、テクニックによるごまかしがきかないので、いかにその演奏者に表現力があるかどうかがわかるので、「本当の音楽=心をこめていること」という演奏ができているかどうか、一番わかりやすいと思います。 Mさんに5ヶ月レッスンしてきて、Mさんの口から、その言葉を聞いたとき、私がほんとうに教えたいことがちゃんと伝わっていることを確信し、私はとてもうれしく思いました。 |
2000.01.16 (日) ピアノのことを本当に好きでいてほしいから。 |
1月7日は、今年最初のMちゃんのレッスン日だった。でも時間になると、Mちゃんではなく、Mちゃんのお母さんが来た。話を聞くと、1年ほど前から、Mちゃんはスランプというか、それまでのようにピアノに取り組むことができなくなっていた。Mちゃんにとってピアノがストレスになっていたらしい。なんでもっとうまく弾けないんだっって、ピアノを叩くように弾いたりしていたらしい。 私も、1年くらい前から、Mちゃんの様子の変化に気がついていた。だんだん気持ちがピアノから離れていっているように感じていたので、驚きはしなかった。 Mちゃんのお母さんは、 「そんなにストレスになるようなら、はやく本人から『やめたい』と言ってほしかったけど、今日やっと言ってくれたので、正直言って、ほっとしました」 と言った。それを聞いて私も、 「本当にピアノが好きでいてほしいから、ピアノレッスンをやめてくれてよかったと思います。でも自分で好きな時に好きな曲を弾いて、もし、わからないことがあったら、いつでも連絡してくれれば、私はなんでも力になりたい。私はほんとうにMちゃんにピアノのことを好きでいてほしいから。」 と、お母さんに言い、Mちゃんに伝えてほしいと言いました。 Mちゃんは「わたしのピアノ」の詩を書いてくれた子です。きっと、ずっとピアノのこと、好きでいてくれると思います。 ピアノを好きでいるためにレッスンをやめるってこと、すごくうれしいです。だからいままで生徒がやめますって言ったときみたいに「悲しい」とは思えなくなりました。私自身もちょっとは生徒たちのおかげで成長したのかなあ。。。。 |
2000.03.30 (木) うれしかったです。(;_;)うるうる〜〜〜〜 |
3月26日(日)、豊田市民文化会館 大ホールで、愛知県立豊野高等学校 吹奏楽部の定期演奏会がありました。 私は聴きに行きました。 2月下旬、一通の手紙がうちの郵便ポストにありました。差出人は元生徒のT・Nさんでした。中にはこの演奏会のチケットと、ポスターと手紙。とてもうれしかった。彼女は高校受験の時に、レッスンをやめてしまったのだが、その後も「音楽」とともだちでいてくれたということがわかって。 演奏会のステージの一番右で、一番おおきな楽器「ストリング・バス」担当。私はかなり後ろの方の席で、顔まではっきりとは見えなかったが、変わらない彼女のしぐさで、すぐにそれが彼女であることを確信した。 入り口で受け取ったプログラムにアンケート用紙があり、そこには演奏者へのメッセージ欄があったので、私は彼女宛に以下のような内容を書いて出してきた。 「今日は演奏会の案内をしてくれてありがとう。とてもうれしかったです。ストリング・バス」パートは、目立たない存在だけど、なくてはならないとても重要なパートです。これからもがんばってください。ピアノに限らず、Tさんが「音楽」を一生の友達としていってくれてることがわかり、とてもうれしかったです。」 目立たない、脚光をあびないけど、もしそれがなかったらすべてが成り立たない。そんな「縁の下の力持ち」的存在が、私は好きです。 私は、ピアニストではなくピアノ教師である自分にも「がんばれ」というような気持ちになりました。 |
2000.04.01 (土) 音と音楽 |
昔、(といっても、私がパソコン・インターネットをはじめたころだから3年半くらい前)、インターネットで知り合った音楽・ピアノ好きな仲間とチャットやメールで意見交換していたときに話題になったことだが、『「音」と「音楽」の違いについて』。そのとき、結局私なりに定義したことは、『「音楽」とは、「心のこもった音」であり、「音」とは、ただ、鳴っているだけの音』。 先日、もう、上映期間が過ぎてしまい、見るのを半ばあきらめかけていた『海の上のピアニスト』という映画を偶然、まだ上映している映画館の情報を知り、観てきた。その主人公である、「1900」は、客船の中の、ピアノの上に生後間もないころに捨てられていた。その1900は、8歳くらいのときに、誰が教えるでもなく、ある晩皆が寝静まった夜中に、ピアノを弾いた。その曲を聴き、だれもが、「いい曲だ」と感じた。 1900は、生まれてから一度も船を降りたことがなかったにもかかわらず、ピアノでさまざまな曲を弾いた。ある日、友人のトランペット奏者が、彼に聞いた。「いったいどこからその音楽が生まれてくるんだい?」すると彼は、客席にいるいろいろな人を示し、「たとえばほらあの人は、こんな感じ・・・・」と言って、次々とその客の様子をそのまま音楽にしてしまった。それがすごく「そっくり」でこの場面では、私は声をたてて笑ってしまった。§^。^§ 私はよく生徒に質問する。「音と音楽の違いは?」と。そして、いつも言う。「心がこもっていて、なにか気持ちをこめてピアノを弾いて、それが聴いている人に伝われば、それが「音楽」だし、それがほんとうに「いい演奏」「上手な演奏」なんだよ」ってね。§^。^§ 結局、1900は廃船になっても、船からは降りようとしなかった。とてつもなく終わりのない「世界」では、自分の音楽を奏でることができないと言って。そしてその船とともに爆破され、この世を去った。ここまで「自分の音楽」を貫き通した1900はすごいと思った。 かなりブームになった映画「タイタニック」もよかったが、私はこの映画もひどく感動したので、本当に観ることができてよかったと思う。ただ残念だったのは、パンフレットが売り切れで、手にはいらなかったことだけ。。。。(:_;) ※『海の上のピアニスト』関連ページ |
2000.04.24 (月) 無題 |
この時期(年度がわり=新学期)になると年必ず、ピアノ(レッスンに来ること)をやめます、とか、始めたいとかいう生徒が現れる。 私は最近、生徒に「やめます」と言われても、悲しくなくなった。何故かというと、私にもやっと本当の「音楽」がわかったからだと思う。 また、私にとって「ピアノを教える」ということがいったい自分にとって何かってことが、わかったからだと思う。 本来「音楽」というのは、「楽しむべきもの」であって、だから、本人がやる気もないのに、ピアノレッスンを続けさせる、あるいはやめさせることなどは、本人が決めるべきことであるはず。ということ。 また、私にとって「ピアノを教える」ということは、「音楽の楽しさ、ピアノのすばらしさ」を一人でも多くの人に伝えたい気持ちからなんだ。ということ。 先週の金曜日、ある生徒(小学生)が、レッスンが終わったあと、おもむろに 生徒 「先生、話したいことがあるんですけど・・・・」 私 「何?」 生徒 「ピアノ、やめたいんですけど、やめてもいいですか?」 私 「あのね、ピアノって、好きでやることなんだよ、だから自分がやめたければやめればいいし、続けたいなら続ける。だから、そんなことは先生にきかなくてもいいんだよ。」 生徒 「じゃあ、やめます。」 私 「そう・・・・。でも、またいつか、大人になってからでも、ピアノが弾きたくなったら、いつでもここに来ていいんだよ。それから、お姉ちゃんのレッスンの時に一緒に来て、聴きにきたっていいよ。」 そして、今日、その生徒のお姉ちゃんのレッスンのことで連絡したいことがあったので、電話したときに、なんと(電話で話したのはおばあちゃんだったのですが)その子が、 「やっぱり、ピアノ、続けようかなぁ。。。。」 と言っていたと聴いた。 いろいろ話をしたが、最後に私はこう言った。 「練習してなくてレッスンに来ることが私に迷惑じゃないだろうか、とか、そんなことは気にしないでください。 私はたとえ週に一度でも、ピアノにかかわっていたいと思う『やる気』さえあるなら、いいです。一番大切にして欲しいのは、本人の意思です。」 私は、本当にピアノが好きなので、無理じいだけはしたくない。 本人が嫌なのに無理矢理続けさせることは、マイナスになるばかりで、ピアノや音楽嫌いな生徒を作ることになると思う。 私は「ピアノのすばらしさ」「音楽の楽しさ」を教えたい。 |
2000.04.28 (金) うれしかったこと |
昨日のレッスンでとってもうれしいことがあった。 私は「月謝袋」は市販のものをいろいろ使っている。1年間使って全部終わったら、新しいのに変えるとき、必ず生徒に全種類見せて、生徒に選ばせている。 昨日、K君のレッスンのときにこんな会話。 私 「月謝袋、全部終わっちゃったから、新しくするんだけど、どれがいい?」 K君 「あ〜、もう1年経ったんだぁ〜。。。。」 私 「そうだねえ、1年経ったね。はじめの頃、K君は『ピアノなんかきらい』って言ってたけど、どう?好きになった????」 K君 「うん!!!!(^_^)」 私 「よかったぁ〜〜〜〜。§^。^§」 たかが月謝袋だけど、選ばせててよかったと思った。 1年経ったってこと、実感できたからね。§^。^§V ※ちなみに、1年前のK君の様子は、ここ(5月7日)とここ(7月1日)です。 |