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2003.10.19 (日) TVドラマ「フジ子・ヘミングの軌跡」の感想
2003.10.28 (火) 努力は必ず報われる
2003.11.03 (月) そして幸せについて考える
2003.11.12 (水) 青も白い虫・・・・歌詞の意味とフレーズの大切さ
2003.11.16 (日) いつみても波瀾万丈
2003.11.17 (月) 音楽は時間芸術・・・・ウォン・ウィンツァン ピアノソロ・コンサートにて
2003.11.22 (土) 簡単な曲を馬鹿にしてはいけない
2003.11.25 (火) バトントワリング・・・・ピアノ演奏にも言えること
2003.12.09 (火) 『月刊ピアノ』の別冊『ピアノ教室らくらくパソコン活用法(仮題)』の取材
2003.12.19 (金) 生きた杖


 200310.19 (日) TVドラマ「フジ子・ヘミングの軌跡」の感想
 先日(2003年10月17日)、TVで「フジ子・ヘミングの軌跡」というドラマが放送された。
私は、以前からフジ子・ヘミングにはすごく共感するところがあったので、すごく期待し、もちろんビデオ録画もした。

 さてと、、、、とりとめのない感想。
 ストーリーは、フジ子さんの生い立ちから現在までの波瀾万丈の半生を描いたもの。
 私が特に共感したところは、幾度かのピアニストとしてのデビューのチャンスを逃し、生活費を稼ぐためにアルバイトをしていたハイデルベルグの病院のシーン。
 病院内に置かれていたグランドピアノに引き寄せられるように近づき、弾き始めたフジ子さん。
弾いているうちに、自分は今まで地位や名声を得るためにピアノを弾いてきて、そのチャンスを逃してきた。
でもそれには、ちゃんと「意味」があったのだと気がつく。
 自分は本当にピアノを弾くことが好きだからピアノを弾けばいいのだ、誰のためにでもなくただ自分のために。
そのことに気づかせるために神様が与えてくれたことだったのだと。
 そして、フジ子さんが初めて誰のためでもなく、ただ自分が弾きたいから弾いていた時、あるショックから感情を失ってしまった老人が、自分で車椅子を動かしてフジ子が弾くピアノのかたわらに近づいてきて涙を流したのだ。
 つまり、フジ子さんのピアノの音色を聴き、感情がよみがえってきたのだ。医者でも治せなかったのに・・・・。

 この場面、なんだか私は、自分が病院のハートフルコンサートで弾かせていただいていることとすごくダブってしまいました。
私も、ボランティアとしてではなく、自分が弾きたいから弾いているから。レッスンだって、自分が教えたいからやっているし。
ピアノが好きで好きでたまらないから・・・・。

 以前、別のテレビ番組でフジ子さんが出演されていたときに、
「幸せなときにはいい演奏ができない。」とおっしゃられていた。
また、NHKで放送されたドキュメンタリー番組「あるピアニストの軌跡」の中では、
「私はひとつひとつの音に魂を込めてるからね。」とおっしゃられていた。
 私は、苦労した人はその分、心の成長があったり、いろんな気持ちがわかったりできるから、それが全部「音色」になるんだ、と思う。(自分は一般的にみたら、苦労してきた方だと思う。)

 今回のドラマの中でも、覆面オーディションというのがあり、ステージの幕の奥で順番に演奏者がピアノを弾き、審査員が審査をするという場面があったが、そのときに、フジ子の番になったとき、フジ子の母親が言ったせりふがよかった。
「ピアノが変わった! さっきのとはまるで違う音色になった。フジ子が弾いているんだよ。」
審査員も全員、はっとした感じになり、もちろんそのオーディションではフジ子さんが賞を取った。

 自分の魂を込めた自分の音色で(=個性)の演奏ができるように、私自身も、そして、私のかわいい生徒たちにも、そういう音楽を教えたいとまた、あらためて思った。

 というわけで、このドラマはとてもよかったので、観てない生徒さんで希望者には、ビデオを貸し出ししようかなーと思っている。

 ドラマはとてもよかったけれど、ただ一点だけ、残念に思ったことがある。
BGMのほとんどは、フジ子さんご本人の演奏によるピアノ曲だったのだが、1曲だけ、映画「海の上のピアニスト」の中の「愛を奏でて」のオーケストラアレンジを使っていたところだ。
 この曲は、あの映画のストーリーの中でとても重要な意味を持つ曲だけに、他のドラマでは絶対に使ってほしくない曲だ。しかも、あの映画の場面と同じような意味を持つ場面で使われるのならまだしも、全く違う意味の場面で使われていた。
 あの映画や音楽に対して失礼だと思うし、フジ子さんに対しても失礼だと思う。このことは、私の愛弟子「十朗太くん」も声に力込めて言っていた(掲示板に書かれておりました)。

 そういえばついでに思い出したが、最近、ある製薬会社のビタミン剤のCMに サティの「ジムノペディ 第1番」を使っているが、これもすごく変だと思う。その音楽の本来の意味からすると、ビタミン剤って・・・・何???? 何でこの曲使ってんの????と思うのは私だけだろうか。

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 2003.10.28 (火)  努力は必ず報われる
 「努力は必ず報われる」

 さっき、料理をしていてふと、そう思った。そして、いてもたってもいられなくなり、日記に書こうと思った。
いわゆる自己満足。碧流「名言」かも・・・・なんて思ったりして・・・・(汗) (^_^;;;;

 例えば、コンクールに参加するために毎日血のにじむような練習をしたとする。でも、本番では不合格だったとか、試合に出るために猛練習したけど、負けてしまったという「結果」。
 結果は確かに「不合格」「敗戦」だとしても、そのコンクールや試合をするために、たくさん勉強し努力したことは、すべて身についているはず。もしも、コンクールに、試合に出なければ、そんな努力もしなかったに相違ない。
 ということは、その努力は、「合格」「勝利」という「結果」ではなく、「実際にこんなにも自分が向上できたのだ」ということで「報われている」ことになる。
 そう考えれば、どんなことでも「努力は必ず報われる」ということになる。

 物事に対する捉え方次第で、人はいくらでも幸せを感じられる。なんて素晴らしいことだろうと思う。

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 2003.11.03 (月)  そして幸せについて考える
 最近、ふと思ったこと。「幸せとは?」
結局たどり着いた答えは、、「幸せはいつでもそばにある。それに気がつける心を持ってさえいれば、いつも幸せを感じることができる。」
 これは、「どんなことでも必ず意味がある」と同じ意味。それに、「転んでもタダでは起きない」よりもっと超えて、
「転んだら必ず何かを握って立ち上がる」にも関連した言葉だ。

 結局は、何があっても、それをプラス思考で受け入れ、その後の目標、肥やし、戒めなどなど・・・・うまく言葉にできないけど、そういう風に考えればいい。
 物事の全て=良いことも、一見悪いと思えることでも、そういう風にいつも考え受け止めれば、その出来事は、全てあってよかったと感じられ、「幸せ」に変わる。

 メーテルリンクの物語「青い鳥」を思い出した。今やっと、あの物語の本当の意味を知った気がする。

だから、「幸せは探すものでも、見つけるものでもないし、幸せに「なる」ものでもない。幸せは感じるものだ。幸せはいつでもそばにある。それに気がつける心を持ってさえいれば、いつでも幸せを感じることができる。」

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 2003.11.12 (水)  青も白い虫・・・・歌詞の意味とフレーズの大切さ。
 先日、わたしの友人のくまさんとこに、赤ちゃんが無事誕生したということで、お会いしに行ってきました。
いやー、すごく可愛かったです。うちの子達も、こんな時期があったんだなーとしみじみ思った。
で、意外にも、オムツの替え方とか、いわゆる赤ちゃんの育て方というか、お世話の仕方なんだけど、これが、意外と覚えている自分にびっくり!(^_^;

 ところで、くまさんは、とても楽しい方で、その日も病院でギャグを連発。くまさんの赤ちゃんの名前が「あおいちゃん」ということで、青色の話題になったときのこと。
「虫の声」という歌を知ってますよね、そう、小学校2年生あたりの音楽の教科書に載っているやつです。
「あれ まつむしがぁー 鳴いているぅー ・・・・」と言う歌詞の歌。
あれの最後のフレーズについて、くまさんが、
「あーおもしろい虫って、、、、青も白い虫ってどんな虫やぁー、想像しながら歌ったら、すごく異様や!」
と言っていた。
 そのときくまさんには、
「しょーもないギャグだー」と突っ込みを入れていた私なんですが、
日にちが経つにつれ、なんかすごいことだと思うようになり、ここに書こうと思ったんです。

 歌詞の意味は大事!ということ。フレージングもしかり。
「ああ、面白い虫の声」・・・・これを、切れ目(ブレス)を替えれば、「青も白い 虫の声」となるわけで、全く意味が通じなくなります。

 私はよくピアノのレッスンのときに、スラーなどを無視して弾いてくる生徒さんに、言うのです。
白い紙に、「きょうはいしゃへ行く」と書いて、読んでみてごらん!って。
これは、どこに「、」をつけるかによって、行き先が変わります。
「今日、歯医者へ行く」なのか、「今日は、医者へ行く」

 もひとつ。
「ねこふんじゃった」を弾いてみてごらんと言って、弾かせてみて、正しいフレーズで弾かないと、
「たーねこ」ってなあに????とききます。

今度からレッスンに、この「青も白い虫」の話も追加しちゃおっと!

 くまさんのしょーもない(失礼・・・・)ギャグのおかげで、フレージングの大切さ、歌詞の意味をきちんと把握することの大切さを生徒さんたちに伝える手段をまたひとつ、GETさせていただきました。ありがとうございました。。。。めでたし、めでたし。


※ くまさんについては、ぜひ、こちらをご覧ください。
※ あおいちゃんのお写真はこちらです。

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 2003.11.16 (日)   いつみても波瀾万丈
 私は、毎週日曜日の午前中にやっている「いつみても波瀾万丈」というTV番組が気に入ってます。
この番組は、いろんな業界の方の生き様を再現ドラマとご本人のコメントで紹介していくという内容もさながら、
[いろいろな業界の方]というところがまた、とても興味深いのです♪
 そして今日のゲストは音楽業界。「バイオリニストの千住真理子さん」でした。(画家の千住博さん、作曲家の千住明さんの妹さんです。)

 真理子さんは、子供の頃、バイオリンの楽しさに魅了され、日本音楽コンクール史上最年少で優勝を果たし天才少女と呼ばれた。
 しかし「天才」と言われることに次第にプレッシャーを感じ、思うように力が出せなくなりコンクールで落選。
限界を感じ、バイオリンをやめてしまった。
 それから2年半後、ホスピスから「貴女のファンの方が死を目前にされ、もう一度貴女の演奏を望んでいらっしゃいます」という演奏の依頼を受け、そのホスピスでの演奏の中、
「だれかのために演奏することの大切さや、高い技術で完璧な演奏をすることよりも、本当に心を込めて演奏することの大切さを知った」
と言っておられました。そしてそれを機にバイオリン奏者として復活したそうです。

 また、復活後、2人のお兄様との共演コンサートを開かれ、映像は画家の博さん、作曲・編曲は明さん、そしてバイオリン演奏とピアノ演奏を真理子さんと明さんがされ、ご両親はそのコンサートで深く感動されたそうです。
そしてその翌日、お父様が体調を崩され、永遠の眠りにつかれたとのこと。
そのころ、真理子さんは、ステージの上で、お父様の大好きだったシューベルトの曲を演奏し、この音色がお父様に届くように一生懸命心を込めて演奏されていたそうです。

 今日は朝から感動しました。そして、私がピアノの指導をしていく上でも、いろいろ勉強になりました。

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 2003.11.17 (月) 音楽は時間芸術・・・・ウォン・ウィンツァン ピアノソロ・コンサートにて
 昨日、ウォン・ウィンツァンさまのピアノソロ・コンサートへ行ってきました。
私は、開場の1時間前に着き、ずっと開くのを並んで待っていました。
ちなみに前から10番目だったので、席は、前から5列目のステージに向かって中央よりやや左側、
つまり、ピアノを弾いているときのタッチやペダリングがよ〜く見え、音も丁度良い感じで聴こえる場所に座ることができました。
 プログラムは、以下のとおり。
《第一部》 ウォン・ウィンツァン
インディアン・サマー
It's Never Too Late to Meet Again
水のうた、森のねむり
光君のプレゼント
River of Lives〜黄河〜
海より遠く
あるいは街で、あの頃
夏、祈ったこと

《第ニ部》 ウォン・ウィンツァン
即興演奏”たましいのトポス”

《第三部》 ウォン・ウィンツァン+及川恒平
さみだれ川
面影橋から
ふたつの水たまり
林檎撫づれば
平原にて

 第1曲目に「インディアン・サマー」・・・・冬の陽だまり、小春日和という意味の題名の曲で、すぐにそのピアノの音色に引き込まれました。
あとはもう、心地よい空間に浸っていました。

 曲と曲の合間に、ウォンさまのお話があり、それがまた、とても楽しい雰囲気を作っており、
全プログラムを通じて、会場の聴衆との間にあたたかい空気が漂っていました。

 全プログラムの中で特に私の印象に残っているのは、やはり第2部の即興演奏。
瞑想の中から自然に生まれてくる音をその場でそのまま音楽としてピアノを通じて表現する。すごかったです。
45分間の演奏! まさに「音楽は時間芸術なのだ!」ということをあらためて感じることができました。
 それから、ウォンさまの言葉の中で、ウォンさまが自己紹介をされるときに、
「私のことは、音楽を聴けばわかると思います」
とおっしゃられていた。確かに!と私は思った。これは、本当に本当に私もそう思っていたので♪(にこ)(^_^)

 コンサートは午後4時からでしたが、終わったのは7時近かったです。
その後、ロビーでウォンさまのCD「海より遠く」を買い、ウォンさまにサインをしてもらいました。握手もしました(^、^*) エヘヘ

 実は、私は、ウォンさまの楽譜を持っていったんです。もしかしたらこれにサインしてもらえるかも・・・・と思って♪
なので、他の人はそこで買ったCDにサインしてもらっていたのですが、私はその楽譜にサインしてもらいました。
すごーく嬉しかったです。だって、楽譜は私のたからものだからっ♪

 そしてそして、実は、私は時々、ウォンさまの公式サイトのBBSに書き込みをしていたのですが、
そこで知り合った「海のむこう」さんと「仁美」さん、「しけたうどんこ」さんと「春の風」さんにお会いしました。
そしてなんと、「海のむこう」さんのはからいで、コンサート後、某ホテルのロビーで、
直接ウォンさまとお会いしていろいろお話をすることができたのです。

 ウォンさまは、とても気さくな方で、私のようなただのいちファンとでも、すごく気軽にお話をしてくださいました。
 ここぞとばかり、私はいろいろと質問させていただきました。
(以下は、私なりに捉えた言い回しです。そのままウォンさまがおっしゃった言葉の表現とは厳密には異なります)

碧:今日の会場のピアノ=ベーゼンドルファーの弾き心地はどうでしたか?
ウォンさま:とっても強弱に幅があり、やわらかい音も鋭い音も、本当に表現の「幅」が広くできて、とてもよかった

碧:演奏するときに、すごく首を振っていらっしゃいますが、あれはやっぱり自然にああなってしまうのでしょうか?
ウォンさま:自分では全く意識してないけど、振ってしまいますねぇ・・・・。(笑)
碧:わかりますよ、(自然にそうなってしまう)でも、私なんかですと、やはり楽譜を見て弾く事の方が多いので、
  首を振ると、楽譜が見えなくなっちゃいますぅ〜〜〜〜(笑)

碧:あの「即興演奏」はすごかったですねぇ、もしも今、もう一度同じ演奏をしてって言われたら、やっぱ、弾けないですか?
ウォンさま:弾けないですね。本当に心からの音をその場で弾いているので。
       いつも録音しておいてあとから聴いてみるんですが、今日は録音機器の調子が悪くて、
       録音できていなかったようです。
碧:やはりそうですよね、ウォンさんの即興演奏を聴いて「音楽って本当に時間芸術なんだなー」とつくづく思いました。
   だから楽譜にできないし、楽譜には決して書ききれないですよね。
ウォンさま:そうです! それに、楽譜を見ながら弾いているときにはできないような表現(弾き方)も、
       即興だと、自然にできるから(・・・・云々)

 やっぱり、「音楽」って、そういうものなのだと本当に思いました。
作曲者が本当に伝えたいことは、楽譜には書ききれない=だから、楽譜には書かれていないことを一生懸命追求して、それを音に込める。
 私たちは、そういう見方で楽譜というものを見て、音楽を再現すべきなんだと、あらためて感じました。
楽譜に書かれていることだけを音として再現してもそれは本当の音楽ではないのだと!

 ウォンさま、そして、「海のむこう」さん、「仁美」さん、「しけたうどんこ」さんと「春の風」さん、それからこのコンサートにご尽力された全ての方々に感謝しています。ありがとうございました。

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 2003.11.22 (土)   簡単な曲を馬鹿にしてはいけない
 今日、60歳からのピアノレッスンのSさんのレッスンのときに、Sさんがおっしゃった言葉。
「簡単な曲を馬鹿にしてはいけないですねぇ」
 その言葉を聴いて、私はとっても嬉しかった。そして、以前にも、同じ意味で、簡単な曲ほど難しい と言った生徒さんがいたことや、何故、そうなのかということをお話した。
 1999年10月26日のレッスン日記と同じです。それから、生徒さんの去年の作文にもあります。
 簡単な曲ほど、テクニックによるごまかしがきかないので、本当にその人の音楽性(楽譜に書かれていないことをどれだけ表現できているか)がわかるのです。
 私は、その言葉が生徒さんの口から出てくると、本当にうれしい。私の一番教えたいことだから♪
   (そういえば、3月のコンサート(発表会)プログラムの表紙の裏の「生徒たちの名言集」にも、載せたなぁ・・・・。)
 そして、奇しくも今日のレッスン曲は、「きらきら星」だった。

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 2003.11.25 (火)   バトントワリング・・・・ピアノ演奏にも言えること
 昨日、全日本マーチングバンド・バトントワリング東海連盟主催の第29回マーチングバンド・バトントワリング東海大会(会場:名古屋市総合体育館 レインボーホール)へ行ってきました。
 午後のバトントワリングの部以降を観たのですが、をを!そっかー!と思ったことがありました。

 う〜ん、上手いっ!と感じるチームと、むむむ、ここは・・・・と感じるチームは、いったいどこが違うんだろうかとよーく観察していると・・・・ああ、そっかぁー、な〜るほど!と気がついた。

 上手なチームは、入場から退場まで、動作がきびきびとしていて、見ている側も自然に姿勢がよくなるような爽快さ。
それから、バトンを高く上に回しながら投げて、受け取るというときに、受け取るのを失敗して、バトンを落としてしまったときの対処の仕方。
 上手なチームの選手は、落としてしまったバトンをすぐには拾わず、チーム全体の踊り(?)の流れを乱さないように、受け取ったフリをしてそのまま演技を続け、バトンを持っているかのようにそのまま演技し続け、拾うという動作をしても不自然ではないときに、ささっと拾っていました。
 だから、観ている私たちは、床にバトンが落ちてるけど、一体誰が落としたのかな?と思って、一生懸命目を凝らして見ないと、バトンを持っていない選手がどの人かわからない。


 これって、ピアノ(音楽)と同じだなーと思いました。
ピアノでも、ミスタッチをしてしまったとき、音楽の流れを止めて弾きなおさず、うまく音を修正しながら音楽をしつづけなければいけないですよね♪
 いつも、レッスンで生徒さんに、このことを説明しているけど、今度から、このバトンの話もしようかな!っとまた、レッスンの肥やしになったわけ♪


 それに、もっと思ったのは、これって、人生も同じじゃないか!と。
挫折や失敗があっても、それを克服し、というか、くよくよといつまでも後悔ばかりしていないで、対処方法を考え、乗り越えて、前を見て、先のことを考えて生きていく・・・・なんてね・・・・ちょっと大げさかな?(汗)

 っとまあ、マーチング大会を見に行っても、料理してても、車を運転してても、何をしていても、ふっと気がつくと、ピアノやらレッスンのことなどを考えてしまっている自分に気が付き、ひとりにんまりと笑ってる毎日なのです(笑)

 ちなみに、車運転してるとき、結構ひとりで、某缶コーヒーのCMじゃないけど、「聴こえんようにゆうたった」みたいな感じです。(汗)
 例えば・・・・
★いきなり前の車がブレーキ踏むので、なんだ?と思ったら、ウインカーを出して曲がって行ったとき、
「ウインカーをなんで出すかって意味知らないの?」
★雨降りや夕方で、うす暗くてもライト付けてない車を見かけると・・・・
「ライトつける意味は、自分が見るためだけじゃないんだよぉ!」
ということで、なんでもその「意味」を考えることが大事だと思う。

 このことをピアノに置き換えてみると・・・・
楽譜には、いろんな記号があって、例えば、「f」フォルテ。
 ただそこにフォルテという記号があるから音を大きく弾く。
それだけじゃダメ! なんでここにフォルテが付けられているのかという意味を考えたりすることで、もっと表現できたり、他の曲の楽譜で、強弱記号が書かれてなかったりしたときでも、自分で工夫できるようになれるからね。
 指使いだってそう。なぜここはこの指番号が指定されているかということを考えれば、いっぱい勉強になる。
 同じ1曲を弾けるようになったとしても、記号を単なる記号としか考えないで弾く人と、一つ一つその意味を考えて弾く人とでは、結果=ついた実力、応用力は、全く違うんだよね。うんうん。

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 2003.12.10 (水)   『月刊ピアノ』の別冊『ピアノ教室らくらくパソコン活用法(仮題)』の取材
 12月2日に、1通のメールが届いたのが始まりだった。

はじめまして。
わたしは、編集の仕事をしております**と申します。 (以下「Tさん」とします)
実は、ヤマハ音楽振興財団が手がけております『月刊ピアノ』の別冊として
来年3月1日に発刊予定の『ピアノ教室らくらくパソコン活用法(仮題)』を
準備しております。

その中で、ホームページを上手に運用されているピアノ教室をとりあげる
ページを企画しており、スタッフがそれぞれ検索や収集した情報をもとに
ホームページを閲覧した結果、丹羽ピアノ教室のサイトの充実度に全員着目。
できれば、ぜひ誌面でご紹介させていただきたく、メールした次第です。

ご協力いただける場合は、私共が取材に伺わせていただきます。
教室を主宰している丹羽さんをはじめ、この本の主旨である
パソコンが設置されているところなども撮影させていただき、
ホームページ作成に関するさまざまなお話も伺わせていただきます。
撮影を含めて1時間30分〜2時間ほどの時間をいただけると幸いです。

 っということで、昨日がその取材の日だった。
それまでの1週間は、家の掃除やら片付けで大変! あー、普段からこつこつとマメにやっておくべきだったと後悔しても遅し。
なんとかこの日までに、片付け完了。

 さて、前置きはこれくらいにしておいて。

 午後1時ごろ、取材のTさんと、カメラマンのMさんが、丹羽ピアノ教室に到着。
私は、いつも誰かいらっしゃっても、ついつい話しに夢中になり、お茶とかを出すのも忘れてしゃべりまくるので、
今回は、初めにちゃ〜んとお茶をお出しした。

 そして、名刺交換の後、早速インタビューが始まった。カセットテープのスイッチが入ったと同時に、
私の「緊張感」というスイッチも入ったはずなのだが、、、、まぁ、喋るわしゃべるわ・・・・。自分ながらあきれた。
 パソコンを使ったレッスンの話やら、パソコンを使って作成した発表会のプログラムや、
教室のお知らせ(klavier news)などもお見せしたり。
もちろん、しっかりオリジナルテキスト「スケールとアルペジオのためのテクニック」も!

 それから、ホームページを開いてからどんなメリットがあったかなど、詳しくお話した。
以前、MDNWというインターネット上のピアノサークルのHPもやっていたこととか、
その頃からの友人が今でもずっと、「ゲスト演奏」に来てくれていることや、
普通では絶対にお知り合いになれないようなすごい先生(例えば石嶺先生とか)とも、知り合えたり・・・・。

 次に、ピアノのところで写真を撮られた。撮られながら私が、
「あのぉー、しっかり【しわ】とかを見えないように修正してくださいね・・・・(^_^;」
といったり、
ろみさんから、「かわいく撮ってもらってね♪」と言われていたので、
「あのー、ネットの友人で、いつもゲスト演奏に来てくれる人が、そう言ってましたので・・・」
とか、言って、ウケてしまった・・・・。

 その後、パソコンの前でのインタビュー。写真も幾枚か撮られた。
ホームページ作成のノウハウとか、いろいろ。

 そして、無事(?)に取材が終わった頃には、すっかり緊張感もなく、私が、どんなに激辛好みかと説明するのに、
「ピザにタバスコをかけるんじゃなくて、塗るんですよ。」とか、
HPの音楽クイズのネタで、
「サティのジムノペディのMIDIが5秒間くらい流れて、この曲を作曲したのは誰でしょう?」
という3択問題の選択肢が
「サティ、ジャスコ・・・・」
と言ったら、大ウケだった。えへへへ。

 それから、逆取材もした。
Tさんに、「取材の仕事って、大変なんでしょうね?」と訊ねると、
Tさんは、「いろいろな人と出会えて、いろんな話を聴くと、自分のためにもなるので、この仕事がとても好きだから、
夜遅くまで編集や構成の仕事をしていても、ちっとも苦にならない」
というようなことをおっしゃっていた。
そこで私も、
「私もおなじでーす、楽譜のアレンジやいろいろやっていても、楽しくてしょうがないので、苦労と感じたことは一度もないですよ。」
といった。
そして、やはり、人を相手の仕事って、本当に責任もあるけど、やりがいがありますよね!
ということで意気投合(?)した。(にこっ)

 っということで、TさんとMさんがお帰りになったのは、午後4時30分を少しまわっていたのだった。

 あ〜、めでたし、めでたし。
 どうか、記事がボツになりませんように!

 あ、最後に、庭(屋外)で写真を撮られたんだけど、風が強かったし寒かったので、きっと「変ガオ」になってると思うな・・・・。
あれも載っちゃうんだろーか・・・・(汗;)

 Tさん、Mさん、本当に遠いところ(横浜から)、お疲れ様でした。ありがとうございました。

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 2003.12.19 (金)   生きた杖
 先日、実家へ遊びに行った時のこと。
私の母の話の中でとても感動したことがあった。

 私の兄の子供で現在小学5年生のHくんのこと。
私の母は、ハートフルコンサートのページでも少し書いていますが、大腸がんの手術をしてから、少しずつ体が弱ってきています。
もちろん、病気のせいばかりではありません、先日、75回目の誕生日を迎えたことから、まあ、歳相応の弱り方なんですが、、、、。
特に足腰が弱っていて、歩く時はすごくゆっくりで、足を引きずるようにしか歩くことができません。
 
 ある日、兄たち家族とどこかへ出かけたときの話。(私たち家族は一緒ではなかったときのことだそうで)
母が、「私は歩くのが遅いから、みんなさっさと先に行っていいよ」と言ったけど、
Hくんは、母のかたわらに来て、こう言ったそうです。
「おばあちゃん、僕の肩でもどこでも、つかまって歩いてね。ぼくがおばあちゃんの『生きた杖』になってあげるからね!」

 私も、私の子供たちも、その『生きた杖』という言葉を聴いたとたん、心がいっぱいになり、目に涙がじわっとたまる感じがして、
しばし、言葉が出てきませんでした。
なんて素晴らしいことを言う子なんでしょう!
 ああ、私も生徒たちや家族やいろんな人の「生きた杖」なれたらいいなーと、またまた、頑張る力を分けてもらってきました。

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